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介護施設に「2520万円の賠償命令」これからはこれが常識に?

こんにちは「介護コンサルをしながら、現役介護士を両立」がモットーのごろにぃ(@goronyi_kaigo)です。

常に利用者さんの事故防止には、気を配る必要のある介護施設、そして介護士。

そしてその一方で、どれだけ注意しても「事故ゼロ」が難しい介護施設。

今回は、そんな介護施設での転倒事故によって「2,520万円の賠償金」が求められる事案が発生してしまいました。

この事故について、個人的に思うことを掘り下げてみたいと思います。

「介護施設に賠償金2,520万円の賠償命令」の概要

まず事件の概要については、以下のようなものです。

不適切トイレ介助で飲食できず死亡 施設に2520万円賠償命令

大津市大江1丁目の介護付き有料老人ホーム「コンソルテ瀬田」に入居していた女性=当時(91)=が2016年、不適切なトイレ介助で転倒した事故による摂食障害で飲食できなくなり死亡したのは、施設側が入居者の安全に注意する義務を怠ったのが原因として、遺族が施設運営会社に損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、大津地裁であった。西岡繁靖裁判長は請求通り約2520万円の支払いを命じた。
西岡裁判長は判決理由で、女性を洋式トイレの便座に横向きに座らせた介助について「身体能力が低下しており、滑落・転落の危険を伴う不適切な方法で、危険性を予見できた。正面向きに座らせて手すりを設置していれば、事故を回避できた」と指摘した。
その上で、女性は転倒後に極めて短期間で食べ物を飲み込む力が低下したことから「事故以外に原因はあり得ない」として、死亡との因果関係も認定した。
判決によると、女性は16年11月20日午前6時50分ごろ、トイレに横座りさせられ、介助職員が目を離した10~15分間に便座から滑落して顔面を負傷。摂食不能となり、17年2月9日に亡くなった。
判決後、女性の長女(69)が京都新聞社の取材に応じ、「天寿を全うできなかった母の悔しさが認められた。余生の最後の時間を安全に過ごせるよう、施設は取り組みを進め、二度と事故が起きないよう心してほしい」と話した。

(引用元:京都新聞)

この事故にについて思うこと

①大前提に「注意義務」は介護士につきまとう

まずこの事故について改めて思うことは「介護士の判断ミスや失敗」は、利用者さんの命に直結してしまうという事。

それだけ介護士という仕事が、責任感が高い仕事であり「注意義務」を怠ってならない仕事だという事です。

今回の事故での「転倒」と「死亡」の因果関係についてどの程度強い結びつきがあったのかについて、私も判断できません。

ただしそれでも、介護士や介護施設が「まぁいっか」と軽視した結果なのであれば、もちろん責められて然るべきだと思います。

②訴訟をするに至る経緯はどうなのか?

繰り返しますが、私は事故の詳細を把握しているわけでもなく、更に言えば事故が起きる前の利用者さんやご家族と施設の関係性についてもわかりかねます。

ただしこのような「死亡事故」が訴訟に至るという経緯については、様々なものの見方ができると考えています。

親族の方からすると「許せないという憤り」を感じるのは、当然のことでしょう。

でもその憤りの中に「介護施設では絶対事故が起きない」という過剰な期待が込められていたのではないか?とも考えさせられます。

事故を正当化したいわけではありません。

ただし「介護施設でも100%事故を防ぐ事ができるわけではない」という事を理解していれば、訴訟をしてこれだけの損害賠償請求をするに至らないのでは?というのがあくまでも私個人の見解です。

③2,520万円という賠償金額の適切性

そして私自身が一番驚いたのが、この「2,520万円」という賠償金額です。

「命をお金に変換する事などできません」
「命をお金を結びつける事は不謹慎です」

それを承知の上で言えば、

「91歳で介護施設に入所される程の体調や環境にあった利用者さんが事故で亡くなられた」

この事実に対しての「2,520万円はやはり高額過ぎるのではないか?」というのが私、個人の考えです。

司法の判断に素人が口を出すことではありませんが、こうした判決内容の背景にも「介護施設で事故とはいえ、利用者さんが亡くなる」という事はあってはならない、さらに言えば「無いに決まっている」という「介護施設は100%安心説」が過剰に含まれているのではないかと思わずにはいられません。

この事故が介護業界に与える影響

そして、終わった事はもう終わった事です。

それ以上に心配なのが、今回のような判決が介護業界にまたネガティブな影響を与えるのではないかという点です。

①「訴訟を起こさないと損」だとする感情の芽生え

今回の判決について、例えば過去に介護施設で親御さんを亡くされたご家族はどのように感じられるでしょうか?

そして今後、「介護施設で親御さんを亡くされたり、怪我をされたりしたご家族は」どう感じられるでしょうか?

すごく安直な考えだと承知上で言えば、

・介護施設での事故は、施設側の「完全悪」だ
・自分の親の時も裁判しておくべきだった
・何かあったら裁判しないと損だ

このような考えが芽生えても不思議ではありません。

今後さらに介護施設に対して期待ハードルが上がってしまったり、何かあれば大事にした方が得だという発想に繋がらないかという懸念があります。

②訴訟に怯える介護士の心情

そしてこのような風潮は、ますます介護士の心理状況を追い込みます。

介護士も理解しているはずです。

・事故を起こしてはならない
・事故が利用者さんの死亡や怪我に直結する
・その為に最善の注意を払わなければならない

それでも利用者さんも人間です。介護士が予想打にしない動きを取られ事故が起きる事があります。
介護士も人間です。複数の利用者さんを見る中で、少し目を離してしまったが故に「事故が起きる事もあります。

それをゼロに近づける事が介護士の責任ではありますが、ゼロにする事を約束する事が介護士の仕事だとは思えません。

しかしながら、そうした風潮が強まれば強まるほど、介護士へのストレスやプレッシャーだけが強まり「利用者保護」だけが独り歩きする事になりかねません。

最後に

皆さんは、今回の事故についてどのように感じられるでしょうか?

あくまでもこれは、私個人の考えであり、それが正解か否かについては判断のできかねる部分です。

私が今回の記事で言いたいことは以下です。

①介護施設での事故について、利用者さんやご家族が「悲しみや憤り」を覚える事は、ある種当然の事

②でも介護施設の事故を「ゼロに近づける事は介護士の責任」であるが「ゼロにする事を約束する事」が介護士の仕事だとは思えない

③この難しい線引ラインを介護施設側と利用者(家族)側の理解が無くしては、誰も安心して介護士になれない

物事に対しての「期待と現実の見極め」が怠られれば、それがどこかにしわ寄せとなって現れてしまいます。

そしてそれば人の命を預かる介護現場でも起きてしまいがちなのも事実。

「介護施設が責任を持たなくて良い」という事ではなく、「介護施設に正しく責任を持たせる」事が国として必要なことだと言えると思います。