こんにちは、ごろにぃ(@goronyi_kaigo)です。
みなさんの介護現場では、介護士同士の「意識の統一」「サービスレベルの統一」ができていますか?
私も多くの介護現場に足を運ばせていただきますが、こうした意識やサービスの統一に苦労している介護現場を多く目の当たりにします。
それこそ「良かれと思ってやった事が混乱を招く」というような例も少なくありません。
介護現場のあるある。
①1人の介護士が独断で過剰に丁寧な対応やサービスを開始
②利用者さんは確かに喜ぶ
③でも最終的に他の介護士を受け付けなくなる
丁寧な対応や心掛けは大事だけど、個人の良かれが、チームの良かれになるとは限らない。
1人で仕事してるわけじゃないからね。
— ごろにぃ@介護コンサル (@goronyi_kaigo) March 16, 2019
このTweetにあるような、混乱は多くの介護施設で起きてしまいがちですし、その葛藤に頭を抱えている介護士の皆さんも多いのではないでしょうか?
「良かれと思って」が起こす介護現場の疲弊
介護現場では、上のTweetのように1人の介護士の「良かれと思って」の対応が、現場の混乱に繋がってしまう事があります。
志の高さは立派でも、まずは「できる範疇での良いサービス」を目指さなければ元も子もありません。
実際、混乱の多くは「できる範疇で」という枕言葉を省いてしまった「とにかく少しでも良いサービスを」という思いで行われたサービスに生まれてしまいがちです。
「良かれと思って」が引き起こす混乱のスパイラル
◆「良かれと思って…」1人の介護士が引き起こす「負」のスパイラル
①1人の介護士が独断で過剰なサービスを提供
(例1)ケアプラン外や介護業務外のサービスを提供
(例2)本来、ご家族にやっていただくべき事を介護士が対応
②その対応に利用者さんやご家族は感謝
③サービス提供した介護士も鼻高々
(例1)「こんな事ならいつでもいって下さいね!」
(例2)「介護士として当然の事です」等々
④利用者さんやご家族は、そのサービスが当然だと認知
(例1)別の介護士にも同様のサービスを求める
⑤介護士やタイミングによってのサービスギャップが広がる
(例1)「すみません、それはご家族にお願いしてるので」とお断り
「でも前はしてもらいましたよ」と
⑤利用者さんや介護士のストレスになる
(例1)対応してしまう事で介護士の無理が増える
(例2)対応しない事での利用者さんのストレス、その対応への介護士のストレスを助長
⑥その背景でサービスの劣化を被る利用者さんも増える
(例1)現場に余裕が無くなり、利用者さんによって受けられるサービスに差が生じる
(例2)一部に人間が過度なサービスをする結果、本来業務のしわ寄せが他の介護士による
こうしたスパイラルはあくまでも「最悪」のケースです。
ただし、良かれと思ってのサービスがこのような事態を招くことがあるのも事実だと認知しておく必要があります。
「丁寧な対応」と「過剰な対応」の差
繰り返しになりますが、上で書いたようなスパイラルはあくまでも一例に過ぎません。
そして同時に、丁寧な対応を否定するものでもありません。
丁寧な対応は必要
稀に「介護士なんて給与が低いから頑張ったら損だ」という発想を持つ人がいます。
実際、頑張った事が必ずしも報われないというのが、介護士の仕事ですし、それこそ介護業界に限らず仕事とはそういうものだと私は考えています。
ただし、「お給与をもらって」「サービスを望まれる利用者がいて」という環境下で「丁寧な対応」や「少しでも良いサービス」を考える事に何ら問題はありませんし、むしろ本来的には褒められるべき事です。
ただし独りよがりのサービスは考えもの
問題なのは、「丁寧なサービス」や「少しでも良いサービスを」と考える思考そのものではなく、そうした事を独りよがりで行ってしまうということです。
本来介護現場ではルールやサービスレベルが決まっています。
利用者さんが仮に望んだものであったとしても、それを独りよがりにねじ曲げてしまうようでは、現場には上で書いたような混乱しか生まれません。
それこそ本当に「サービスの質を高めたい」「利用者さんに喜んでもらいたい」と考えるのであれば、現場内で相談しで全員で協力し合いながら、できる範疇でのやるべき事を話し合うべきです。
それこそ独りよがりの弊害で、「1人の過剰なサービスで通常通りサービスしている介護士が受け入れてもらえなくなった」「1人の丁寧過ぎる対応で、本来業務が進まず業務負荷がかかる介護士が増えた」等という事があれば、介護現場全体に余裕が無くなり、本末転倒です。
介護サービスは「仕事」であるという観点
一方でこうした「良かれと思った対応が受け入れられない事には納得できない」という意見を持たれる方もいらっしゃると思います。
ある意味筋の通った純粋な意見かもしれません。
ただし、介護現場は仕事として介護サービスが提供される場です。
「最善の結果を求める事も仕事」である一方、「全介護士が全利用者に同じレベルのサービス供給ができる事も仕事」です。
継続性の無いものや思いつきのものが増えれば増えるだけ介護士も利用者さんも混乱します。
それが「個人がプライベートで行う事」と「チームで仕事として行う事」の差でもあります。
現実主義が必ずしも良いとは言えませんが、個人の独りよがりのサービス提供が行われる背景には多くの場合、被害を被っている職場の同僚がいるというのが現実です。
「利用者さんの満足」があってもその背景に「介護士や同僚の負担やストレス」が発生してしまっていては元も子もありません。
理想の追求をしたければ、そうした職場を探す
ここまで書いたように多くの介護現場では、現実を見ながらのサービスをせざるを得ないような環境に置かれています。
逆に言えばそうした余裕のない環境だから、「良かれと思った事が独りよがりになる」とも言えます。
それでも「理想の追求」を目指したのであれば、やはりそうした価値観の職場を探すというのが一番現実的です。
実際、「良かれと思ってやった事が否定された」でも「他の介護現場で同じことをすれば同僚や上司から褒めてもらえた」というケースも往々にしてあります。
そうした意味では自分の価値観を貫けない職場に、無理強いや混乱を生むのでなく、自分の価値観に合う介護現場を探す事の方が現実的です。
最後に
ここまで書きたい事を書いてきましたが、一つだけ言いたい事。それは決して「丁寧な対応を心がける事」「良いサービスを心がける事」を否定したい訳ではありません。
あくまでも優先順位の問題です。
まずは「やりたい事」「提供したいもの」が利用者さんだけでなく、「職場にとっても出来うる範疇のものであるか?」という事です。
そこの価値観の一致が無ければ、誰も幸せにはなれませんし、介護現場でも混乱と疲弊しか生まれません。
その為に管理職がいます。意見を出し合う会議があります。
それぞれがそれぞれの立場、環境に合わせてこうした目線を持つことが結果として、働く介護士にとって働きやすい環境に繋がり、最終的に利用者さんへの還元に繋がると私は考えます。