こんにちは「介護コンサルをしながら、現役介護士を両立」がモットーのごろにぃ(@goronyi_kaigo)です。
最近介護業界でも、少しずつ「奉仕の精神だ」「自己犠牲バンザイ」といった風潮が無くなりつつあります。
言い換えると「奉仕者としての介護士」ではなく「労働者としての介護士」が少しずつ定着しつつあります。
ただそれでも依然として、介護現場毎の温度差が大きい事は問題ではありますが。。。
こうした変化は至って健全な事で、今後の介護士不足を考えた時には必ず必要な風潮、体質だと思います。
ただしその一方で、最近ではこの「労働者としての介護士」について、非常に偏った考えを持つ介護士が増加している事に少し違和感を感じています。
・労働は自分の為のもの。「利用者さんの事は気にするな!」という過剰な風潮
・介護士の割り切った労働は「利用者さんを蔑ろにした自己中心的な考え」だという過剰な風潮
相反する2つの風潮ではありますが「こうした過剰な風潮が介護現場を煩わしくしているのではないか?」と感じずにはいられません。
今回はそのような思いについて、ブログを書いてみたいと思います。
介護士の「割り切り労働」とは?
そもそも介護士の「割り切り労働」とはどのような働き方なのか?
あくまでも私自身が「こうあるべき」と考える介護士の割り切った労働について、いくつか例を挙げてみたいと思います。
①労働に対して正しく賃金が支払われる
まず「労働」という概念で考える以上、時間に対して「賃金」が支払われるべきなのは言うまでもありません。
働いているにも関わらず、賃金が支払われない残業や会議、研修が存在するのであればそれは以っての他。
仮に利用者さんの為になる事であっても、万が一正しく賃金が補填されないのであれば、それは労働ではなく、慈善事業です。
②「やりたい事」と「できる事・すべき事」が切り分けられる
また介護士の労働を割り切る上では「やりたい事」と「できる事・すべき事」がしっかり切り分けられている必要があります。
いくら残業手当が支給されたとしても、いくら利用者さんの為に「やりたい事」「求められる事」であったとしても、通常の業務内では到底カバーできないようなサービスを提供する必要はありません。
介護現場は「やりたい事」をする場でなく「できる範囲でできる事」やするべき場だと言えます。
できる範囲を超えたものは、もはや過剰なサービスです。
仮にそれが本当に必要なものなのであれば、見合った採用や介護士配置を行った上で行うできです。
③利用者さんはお客様ではあるが「神様」ではない
また「利用者さんを大事にする」「丁寧に介護する」という事の意味をはき違えてはいけません。
例えば認知症で暴言や暴力が絶えない利用者さんの事を一切問題視せず「介護士が暴力を振るわれ続けるような環境」があるのであれば、明確に改善するべきです。
どうすれば無くなるか考えた上で、難しければ利用者家族に訴えかけるなり、最悪退去してもらうなりと。
こうしたメリハリを持たずに「利用者さんは守られるべき存在だ!」と介護士を蔑ろにして、利用者さんのみを中心視した考えでは、労働としての介護は成り立ちません。
過剰な「割り切り労働」の例
ただこの「割り切る」というものについて「過剰に捉えてしまっているのではないか?」と感じる事が最近多くなりつつあります。
①絶対に残業をしない介護士
当然残業はゼロに越した事は無いですし、上でも書いたようにサービス残業については、もちろん論外です。
ただし介護現場では、お互いのフォローなくしては成立しません。
それにも関わらず「時間で仕事しているので残業は一切するべきでない」と一切の残業を拒否する介護士には些か疑問を感じられずにはいません。
・急な欠員でどうしても残業が必要になる場合
・利用者さんの急変でどうしても人手が足りない場合
そうした場面に「時間で仕事をしているので」と誰も手助けをしなければ介護現場は崩壊してしまいます。
それこそ事故が起きます。
そうならないようにできる限り人員配置を手厚くする等の対応が運営サイドに求められるののは当然ですし、慢性化は以ての外です。
ただし、イレギュラーな事が起きるのが介護現場です。
「割り切って仕事をする」という中でも、そうしたイレギュラー時には「残業して助ける」という精神はあって然るべきだではないでしょうか。
②利用者さんの暴言・暴力には無視で対応
また利用者さんの暴言・暴力への対応についても「そんな勝手な利用者さんにはケアしません」と一切ケアに関わろうとしない介護士もいます。
自身の身に危険がある時には、自身の身を一番に守るべきです。
また利用者さんの暴言・暴力を笑顔で受け止めようと言うつもりもありません。
ただし暴言や暴力の裏にある利用者さんの状況を把握し、ケアするのも介護士の仕事です。
それを「あんな自分勝手な利用者さんは対応しません」等と一切のケアを放棄する事で割り切るのであれば、介護士以外の仕事をオススメします。
これは割り切った労働ではなく、自己中心的な仕事の仕方であり、怠慢です。
「割り切り労働」へのネガティブな反応例
また逆の意味で「割り切って働く」という事に過剰ネガティブに捉えるような例も少なからずあります。
・残業せずに帰るなんて自分勝手な介護だ
・利用者さんの要望に最大限応えないのは手抜き介護だ
介護業務を「仕事として割り切る」と発言すると「利用者さんの事を考えてない」と返しをもらう事がある。
それは違うよ。
少なくとも自分は仕事と割り切った上での出来る範囲で、利用者さんにとって少しでも良くって考えてるよ。
— ごろにぃ@介護コンサル (@goronyi_kaigo) April 15, 2019
これらのように利用者さんの為に「自己犠牲」している姿をあるべき姿だという発想が未だに存在します。
「奉仕」と「労働」を切り分けずに、正しく労働している介護士を卑下する事は当然誤った対応です。
大事なのは線引と職場の雰囲気
ここまで「労働として介護士業務」について、書いてみましたがいかがでしょうか?
「労働である以上割り切りは必要」だと私は考えています。
ただし、それが過剰なものとして、あまりにも自分本位で利用者さんへの負担を強いるものなので、それは割り切りでなく、ただの怠慢です。
一方で逆も然りです。
労働としての正しい割り切りをしようともせず「奉仕活動」としての介護を強いているようでは、自身はもちろん周囲もついていけません。
それでは介護業界が円滑に回る事もありません。
結局はそうしたバランスを正しくとる事、そしてそうした職場の環境や雰囲気を作る事が労働として介護士を成立させる事が必要なのではないでしょうか。
繰り返しますが、奉仕で労働は成り立ちません。
ただし、過剰な割り切りはただの怠慢です。
こうしたバランスの取れた介護現場や介護士が増える事を願います。